Rouge5:さびしがらせてはいけません お星さまになったじいや、桃は反省しています。 こんなに親切にしてくださっている日番谷くんに酷いことをしてしまいました。 反省しています、ものすごく反省しています。 じいや、お空の上から桃を叱ってください。 ケープを外した途端に可愛いと、若い女の美容師があげた声に店中の人が振り向いた。自分の仕事が満足なのか、やたらと嬉しそうな美容師が後ろを確認するための手鏡を持って、むちゃくちゃ可愛いですよぉ、なんて絶賛している。だけど、当の桃はピンと来ないらしく、鏡に映った自分を見つめて不思議そうに小首を傾げた。可愛い〜と、店のあちこちから漣のような呟きが聞こえる。長さを変えない程度に毛先を整えて、ゆるく巻いただけなのになんであんなに変わるのか。せっかく空いている椅子には座らず、壁に軽く背を預けてずっと立って待っていた冬獅郎は、眉間の皺をこれでもかと深くしていた。どうにもこうにも、複雑な気分だったのだ。 ・・・・・・何アレ、誰アレ。 回転椅子がくるりと回って、美容師に促されて立ち上がった桃は、どこぞのファッション雑誌から抜け出したアイドルのように見えるのは冬獅郎の目の錯覚か。冬獅郎が選んだ、ちょい清楚なお嬢様風の白黒ツイードのミニワンピースに膝までのロングブーツ。どうだ、恐れ入ったかと言わんばかりに美容師の顔がキラキラと輝くほどの自信作らしい、ふわりときれいに巻かれた髪。さっきまでのごてごてゴスロリ少女はどこに行ったのか。何アレ誰アレ、すげえ可愛い・・・・・・ような気がする。雛森の癖に!? 髪型は任せるから今風にしてくれという、美容師にとっては自分の腕とセンスを試せてうれしいらしい注文をしておいてから冬獅郎は、有無を言わさず桃を美容院特有の高さが変えられる回転椅子に押し込んだ。先ほどの自分の所業があまりに酷かったことを反省しているらしい桃は、不安げにきょときょとと周りを見回しながらも冬獅郎のやることに異議は微塵も申し立てずに素直に従った。 そして、待つこと1時間と少々。出来上がりは、アイドルばりに可愛いってどうなんですか。 いや、どんなに可愛くてもあえて言う、桃は冬獅郎の趣味ではない。冬獅郎はあくまでも年上のOL好きであって、桃のようなロリ系はいただけない。 ああそうだ、いくら桃の足が冬獅郎のクリーンヒットど真ん中でもっ! 今すぐむしゃぶりつきたいような美脚でもっ!! 他の男の視線が急に気になりだして、靴屋に飛び込んでとりあえず長いブーツを履かせたとしてもっっっ!!! 桃は冬獅郎の好みではない。ああ、好みではない。絶対に違うんだってば―――っっっっ!!!!(落ち着け) 「やっぱ、居酒屋かな。」 「はい?」 「・・・・・・・・・・・・。」 真っ白なコート(これも買ってやった)を着た桃が、きょとんと冬獅郎を見上げた。その上目遣いの大きな目が、うっ!と絶句してしまうほど可愛い。このままお持ち帰りして、あの白くて形のいい足をグリグリベロベロンとまさぐりたいような気がしないでもないような気がしないでもないが、冬獅郎はまだ辛うじて街に出てきた最初の目的を覚えていた。 夢はリストラ、これだよ。 桃に童貞の狩り方を教えて、冬獅郎は桃の餌係をめでたく円満退職したい。円満退職はリストラとは言いませんか、細かいことは気にしないように。 とにかく、桃が冬獅郎の血を飲まなくても生きていけるようになれば、冬獅郎は元の生活に戻れるというものだ。ここ最近の女日照りは、絶対にこの疫病神のせいだろう。このボケボケ吸血鬼に献血してるから、血が足りてないだけだ。きっとそうだ絶対そうだ。この日番谷冬獅郎、19歳の若さで常勝将軍の名を返上する気なんぞさらさらないのである。 「童貞がうろつきそうな場所なら、居酒屋だろ。酒に慣れてない初心者がまず行くとしたら、安くて大衆的な居酒屋に決まってる。」 「はあ、そういうものなんですか。」 冬獅郎がいつも遊んでいるような店に童貞くんがいるとは思えない。ここはやはり、居酒屋だ。居酒屋ならば大学なんかの先輩とかに連れて来られた、酒なんて初めて飲みますという桃でも誑かすことが出来る純情ボーイ(死語)が1匹や2匹はいるだろう。 ざっとあたりを見回すと、派手なネオンの看板を掲げている居酒屋がすぐに見つかる。冬獅郎はこっちと居酒屋の方を指差しておいてから、さっさと先に立って歩き出した。すると、何故かコートが重い。自分の肩越しに振り返ると、桃が冬獅郎のコートを両手でしっかりと掴んでいた。 「・・・・・・・・・・・・。」 子供が迷子にならないように親の服を掴む、まさにそれだ。 冬獅郎が呆れ果てた顔で見ているのに気づくと、桃はへへへと誤魔化すように笑った。その顔が、緊張でぴくぴくと引きつっている。 よくこんなんで今まで夜の街を徘徊してたなと思うと、冬獅郎は思わずため息をついてしまった。雛鳥を連れている気分だ・・・・・・冬獅郎はコートを放せとは言わず、そのまま歩きだした。居酒屋の自動ドアをくぐり、ミニ丈の着物にエプロンという、ちょっとそそられる制服を着た元気なお姉さんに空席に案内してもらい、向かい合って座るまで桃は冬獅郎のコートを放さなかったけれど、やはり冬獅郎は何も言わなかった。傍から見ればなんとも微笑ましいカップルで、ふたりを案内してくれた居酒屋のお姉さんがフフフと笑ったのだけれど、それには冬獅郎も桃も気づかなかったりなんかした。 「食いたいものあるか?」 「・・・・・・何て書いてあるか意味不明です。」 「もしかしてと思ってたけどお前って、普通の人間の食べ物は食ったことねえのか?」 出会った最初の夜を思い起こせば、桃はカップラーメンさえ知らなかった。今もメニューを真剣に眺めてはいるが、どうやら何が何やらわかってないらしい。 「けどお前、マリネなんか知ってたよな?」 どういう話の流れでマリネなんて飛び出したかはきれいさっぱり忘れるとして、とりあえず桃はマリネを知っていた。カップラーメンは知らなかったのに、マリネを知ってるとはこれ如何に。 「いえ、じいやがいた頃は食事を取ってました。味覚はありますので、食べるのは好きです。スープとか、サラダとか・・・あ、お肉も好きです!レアがいいです。」 「いや、焼き加減は訊いてねえから。」 要するに、じいやは洋食しか作れなかったということだろう。 冬獅郎が合図すると、先ほどの元気なお姉さんが伝票を片手に寄ってきた。料理を適当に頼んでから、少し考えて飲み物はふたりともウーロン茶にした。桃に酒を飲ませてみるほど冬獅郎はチャレンジャーではないし、冬獅郎自身は車で来てしまったために飲む訳にはいかない。変身前のゴスロリ桃を連れて電車に乗るのが嫌で、去年の誕生日に父親らしき男が贈りつけて来た、普段はマンションの駐車場で埃をかぶっている高級車を引っ張り出した訳だが、タクシーで来れば良かったなんて今更思いついても後の祭りだった。 (・・・・・・居酒屋に来て酒を頼まないなんて、すげえ恥ずかしいかも。) そう思って注文を繰り返しているお姉さんの表情をそっと窺ってみたが、お姉さんは相変わらずにこにこと笑っていた。プロなんだなと冬獅郎は思ったが、実はお姉さんは「お酒も飲めないのに居酒屋に来るなんて、社会見学に来たのかしら?ますます可愛いカップル!」などと、心の中で思う存分なごんでいたのだが、冬獅郎にはわからないことなのでそっとしておいた方がいいだろう。世の中には、知らない方が心穏やかに過ごせるということもあるのだ。 「これ、何ですか!?」 「焼き鳥。」 「こ、これはっ!?」 「ナンコツのから揚げ。」 「こここ、これはっっ!?」 「刺身の盛り合わせ。」 「ふわぁ〜!」 運ばれて来た料理を見て、桃は素っ頓狂な声をあげた。最初は恐る恐る口に入れてみるのは、カップラーメンを食べさせた時と同じだ。味がわかると、がつがつと食べ始めるのも同じ。ゆっくり噛んで食べろなんて、冬獅郎のありがたいアドバイスも虚しく、すぐに喉に詰まらせてゴホゴホとむせている。 「ったく、お前は何でこんなに手がかかるんだよ。」 「す、すびばせん。」 「食いながら喋んな!」 女なんだからもっと上品に食えなどと怒りながらもウーロン茶のグラスを渡してやるあたり、冬獅郎はすっかり出来の悪い娘の世話を焼くお母さんになってしまっている。いやいやいやいや、普通に食事を楽しんでどうする!ここに来た目的は、童貞くんだ。美味しそうな童貞くんが釣れなければ、今日の冬獅郎の忍耐の限界に挑戦した努力は全て水の泡になる。 夢はリストラ、円満退職なリストラ。クビになりたいです、心の底から! 「おい、雛森!食ってばっかいないで、ちゃんと狩をしろ。美味そうなのはいねえのか、言っとくけど男な。」 「そ、そうですね・・・・・・あの茶色のセーターの方は、なかなか芳しい香りがします。」 「茶色のセーター?」 桃の視線をたどってみると、冬獅郎たちの席から斜め後ろに若い男ばかり4人がテーブルを囲んでいる。いかにも大学生のグループっぽいその中のひとり、茶色いセーターを着た男が冬獅郎とバチッと目が合って慌ててうつむいた。 (へえ・・・・・・。) 何とも好都合なことに、童貞くんは自ら桃に目をつけたらしい。さっきからチラチラと誰かに見られてることには気づいていたが、どうやら犯人はあの茶色セーターだったようだ。もしかしてもしかしなくても、これは絶好のチャンスだろう。 「・・・・・・・・・・・・。」 さり気なく観察してみると、件の茶色セーターは、チラッと桃を見て、さっとうつむくのと何度も繰り返している。一目惚れしたか、純情ボーイ。だけど、こうなってみれば問題なのは今のこの状況だろう。 「日番谷くん、日番谷くん、これは何です?」 「揚げだし豆腐。」 「美味しいですか?」 「食ってみりゃいいだろ。」 嬉しそうに揚げだし豆腐をぱくついている桃を見ながら、冬獅郎はう〜んと考え込んだ。よく考えてみれば、いやよく考えなくても自分と桃は仲のいいカップルに見えるだろう。つまりそれは、茶色セーター純情ボーイは最初から失恋決定ということだ。これではいくら一目惚れしてくれても、茶色セーターが桃に声をかけて来ることはない。つまりは、桃が新しい餌をゲットするためには冬獅郎が邪魔ということになる。だったら冬獅郎が帰ればいいかと言えば、それでは何の解決にもならないだろう。彼氏が先に帰っただけでは、あんな真面目そうなタイプが彼氏持ちの女の子をナンパしようとするとは思えない。冬獅郎ならやるが、茶色セーターは多分やらない。ということは、どうしたら? 「日番谷くん、これは?」 「枝豆。」 「食べていいですか?」 「ああ・・・・・・って、皮ごと食うな!剥くんだよ、阿呆。」 枝豆の皮を剥いてやっている冬獅郎と、またもや茶色セーターの視線がバチッと合った。茶色セーターが何とも泣き出しそうな顔でうつむく・・・・・・そうか、涙か。いや、別に泣かなくてもいいか。とにかく、桃がフリーになればいい訳だ。冬獅郎が桃を派手にふって見せてから帰れば、ふられてひとり取り残された泣いている(泣かなくてもいいけど、泣いたら効果的)可哀相な桃をあの茶色セーター純情ボーイは放っておけないのでは?おお、いいかも!これは名案だ、と言うか、これしかないかも。しかし・・・・・・。 これも美味しいです〜と枝豆を食べているこのオトボケ娘が、芝居なんて出来る筈がない。今から俺がお前をふるから合わせろよなんて言っても、「はい?」と首を傾げるだけだろう。ここはひとつ、いきなりで行くか。賭けになるが、自然のリアクションを期待するしかない。上手く驚いた顔しろよ、なんて思いつつ冬獅郎はすうっと息を吸い込んだ。 「なんて手がかかるんだよ、お前なんてもううんざりだ。」 「はい?」 「もうお前の顔なんて見たくねえつってんだよ、わかったか?」 「え・・・・・・えっとぉ。」 「部屋にも二度と来ないでくれ、いいな?」 「あの・・・・・・あたし、何か日番谷くんを怒らせるようなことをしましたか?」 「しただろうがっ!」 あ、と呟くと、桃の顔がサッと青くなった。珍しい料理が美味しくてつい忘れてしまっていたが、桃はここに来る途中で最上級の血の匂いに惹かれて、あろうことか運転中の冬獅郎を金縛りにして追いかけてしまったのだ。あれだ、彼が怒っているのはあのことだ。 「あの、えっと、その、だから・・・・・・ごめんなさい!」 「今頃あやまっても、遅せえんだよ。」 「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」 「とにかく、もう二度と俺の前に顔を見せるな。じゃあな。」 わざと大きな声でそれだけ言い捨てると、冬獅郎はコートを掴んで席を立った。店中の人の視線を一身に浴びて、出口に向かう。 もしかしたらあの阿呆が追いかけて来るかと思ったが、角を曲がって自分の姿が桃から見えなくなったであろうあたりで振り向いてみると、桃はまだ元の席にちょこんと座っていた。青ざめた顔で、呆然としている。 (・・・・・・・・・ちょっと、可哀相だったかな。) だけど、あれもこれもそれも全て桃のためだ。不味い冬獅郎の血を飲み続けるより、美味しい童貞くんをゲット出来た方がいいに決まっている。冬獅郎も貧血とバイバイして、常勝将軍に返り咲くことが出来る。そうだ、これからいつもの店に行こうか。美人の社長秘書がいるかもしれない。それとも、高級車を餌にナンパしようか。ドライブでもどうと誘えば、ほいほいと乗ってくる 女はいくらでもいる。 そうしようそうしようと思いつつ、とりあえず入り口付近にあったレジで会計だけは済ませてみたもののどうにも気になる。おつりを渡す時に例の元気な店員のお姉さんが冬獅郎を睨んだが、そのトゲトゲな視線にさえ気づかずに冬獅郎は数歩だけ戻り、角に隠れてそっと桃を見てみた。 桃は、泣いていた。 声は出さずに、顔をしっかりとあげたままで泣いていた。 桃の涙が、頬を伝って顎の先からぽたぽたとテーブルに落ちている・・・・・・なんつー泣き方だよ、と冬獅郎は思った。もうちょっと可愛らしく、しくしくと泣けないのかよと思った。あんなんじゃ茶色セーターが引くかもしれないと思ったが、だけど茶色セーターは動いた。ゆっくりと桃に近づいて行くのが見えた、何か話しかけているのが見えた。泣かないでとか言っているのだろうか、優しく慰めているのだろうか。涙に濡れた桃の目が、茶色セーターに向けられた。あのでっかい目に今うつっているのは、冬獅郎ではなくあの美味しそうな童貞くんで・・・・・・。 「ねえ、泣いてないでさ、僕らと一緒に飲まない?」 「うー。」 「あいつ、彼氏だったの?忘れちゃいなよ、あんな酷い奴。」 「うー、うー。」 「ほら、泣きやんでよ。」 「うー、うー、うー。」 茶色セーターの手が、桃の肩に伸びた。冬獅郎が選んだ白黒ツイードワンピの肩に、冬獅郎ではない男の手が・・・・・・。 「悪いな。」 「え?」 自分でも、どうしてそんなことをしてしまったのかはわからない。だけど、気づいた時にはすでに冬獅郎は駆け戻り、桃の肩から茶色セーターの手を払い落としていた。 「ひ、ひ、ひ、日番谷く・・・・・・。」 ため息と一緒に帰るぞという言葉を吐き出して、冬獅郎は桃の細い手首を掴んだ。ガタンと椅子が鳴る、桃が慌てて隣の空いた椅子に置いていたコートを取る。ぐいぐいと冬獅郎に引っ張られて、桃は居酒屋から連れ出された。会計は済ませてあるからレジの前は素通りだ。ありがとうございましたと、またにこにこ顔に戻った店員のお姉さんの声に送られて外に出た。 これから遊びに繰り出す人の波をすり抜けて、桃は冬獅郎の背中を見ながら歩いた。冷たい夜風が、桃の涙を乾かしてくれる。 どうして泣いてしまったのだろうと、桃は掴まれた手首に僅かな痛みを感じながら考えた。桃だって、馬鹿ではない。冬獅郎にもう二度と顔を見せるなと言われた時にはわからなかったけれど、だけど美味しそうな茶色いセーターを着た男が近づいて来た瞬間、あれが冬獅郎の作戦だったのだと気づいた。気づいたのに、涙は止まらなかった。冬獅郎がいない、そのことがさびしくてさびしくてどうしようもなくて、せっかく美味しそうな血の匂いがすぐ傍でしているのに、本当にもう二度と冬獅郎には会えないのではないかと思うとそれどころではなかったのだ。 ずんずんと、冬獅郎は桃を引っ張って無言で歩き続ける。慣れないブーツでは歩きにくくて、少しだけ止まってと言いたかったけれど、だけど桃は言わなかった。掴まれた手首が痛い・・・・・・。 一方の冬獅郎は、とにかく歩いていた。何であんなことをしてしまったんだとか、もう少しで夢のリストラだったのにとか、頭の中でごうごうと色々なものが豪快に渦巻いていたが、とにかく歩いていた。すれ違う人が振り向くのが気になる・・・・・・いつもなら振り向くのは女だけなのに、今夜は男も漏れなく振り向く。見るな、馬鹿野郎と思うのは何故だろう?ぐるぐるぐるぐるぐるぐると、冬獅郎の頭の中で鳴門海峡もビックリな渦が超高速回転していた。 (2008年1月6日更新 / まりり) 4 / 6 戻る |